私の1部であった彼女の死から
この地球で私達が生きていることの意味はなんなのか?
自問自答していた。
調べてみると
魂の成長とか
そもそも意味などないと出てきた。
その言葉だけではしっくりこない私。
体験や楽しむためと思うけどそれだけではない気がするし、そうでもない気もしてきた。
でも、
だんだんと「そもそも意味はない」と感じる感覚を受け止めはじめていた。
存在とは
「ある」こと。
この地球では肉体として存在している。すなわち、ある。
存在することで「ある」ものがある。
例えば
存在することで「ある」ものとは
愚痴や文句も「ある」からそう心が反応する。
それは聞いた話からそう思った!
その話とは
・食べ物を食べこぼし床を汚す旦那様
・イビキがうるさい旦那様
これって愚痴や文句そのもの。
しかし、ひとたびその対象者がこの世を去って存在と現象がなくなると・・・
・もう、汚れないから掃除ができないことが悲しい
・あのうるさいイビキがなくなると寂しくて寝れない
と、一転する。
存在や「ある」ものがなくなるから愚痴や文句もなくなるはずなに.....
なのになのに
そうではない
その人が生きている時は
自分の都合に合わないと愚痴や文句の対象者。
愚痴や文句が言えるのも
そこにその人が存在するから
現象が「ある」から起きている。
人は既に「ある」ことに気付かず
「ない」ことにフォーカスする習性があるが
愚痴や文句も
存在しあること
で生まれる。
だからこれからは愚痴や文句を言えること自体も有難く
それを言っている人も愛おしく思えてきた。
生きるとは
今、存在している
「ある」ことを捉えること
以上
「ある」ことにフォーカスすると
感謝が生まれる
彼女には
心からありがとうを伝えた。
生きて私と出逢ってくれて
私の存在を受け止めてくれて
ありがとう。
彼女の存在から
「ある」こと、「ある」という捉え方を気付けた私。
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